チーズを楽しむ

続・チーズの品質について考える~酪恵舎18年の取り組み

続・チーズの品質について考える~酪恵舎18年の取り組み

チーズの風味や香りを強くするためにどうするか?考えた。乳酸菌やら乳由来やらのタンパク分解酵素や脂肪分解酵素をたくさん用意すれば風味も香りもよくなって品質があがるだろう。そう考えて純度の高い粉末のレンネットより液体やペーストの方がいろいろ入ってそうだからいいのではとか、タンパク分解力の高い乳酸菌を使ったほうがいいのではとか調べているうちにL・ヘルヴェティクスにたどり着いた。そしてシエロ・インネスト法によって旨味や香りを以前よりも強くすることに成功した。しかし、旨味や香りが強ければ品質の高いチーズだろうか?確かに日本人は旨味が大好きだから旨味の多いチーズを評価するけどそれをもって品質が高いとはやっぱり思えない。さらに言えばL・ヘルヴェティクスが産生するアンジオテンシン転換酵素阻害ペプチド(血圧をあげる酵素を阻害するので血圧が下がる)は熟成が進めば分解される。それどころは血圧をあげるチロシンが産生される。グラナ・パダーノでも熟成中にはグルタミン酸が生成されるが、1年を過ぎると消失する。旨味のピークは15か月くらいだからどっちがいいのか?わからない。旨味のあるなしが品質を決定するというのは如何にも稚拙な感じがする。
 昨年、解散した釧路ナチュラルチーズネットワークでは当時年1回、アルパージュの森さんとユーロアールの鈴木さんに来ていただいてチーズの品質評価を実施していた。セミハードチーズというくくりでは評価基準があいまいになり、結局好みで評価することになる。そこで作り手が狙っているチーズの状況を明らかにしてそれに沿って評価したらいいのではないかと考え、方法は以下のようなチーズ履歴書(現在は採用していない)を作成し、狙った通りできているか?を判断してもらい、望まない状況があるとすれば何が原因か?ということを評価・指導してもらった。3年ほど続けてこれはこれで生産者同士が技術的な検討を加え、さらにそれがチーズ販売のプロにとって好ましいか?という両面での評価ができたことはよかった。ただ、履歴書を作るとそれに縛られて改良しづらくなってしまう。ここでの品質評価は自分が設定した基準を作ったチーズが満たしているか?ということが中心課題となる。さらにそれを買いたいかどうか判断するので買いたくないとすればそれは売れないチーズということになる。狙い通り作れていることと売れることを独立したものとして評価した。
こうした評価もある一定水準の技術を持つと意義はうすれていく。問題は日々の変化(乳だったり、乳酸菌だったり、自分だったり)に如何に的確に対応して満足いくチーズを作れるかになってくる。コンテスト用にチーズを作ってそれが評価されることと品質には何の関係もないし、その時だけいいチーズができたりすることはチーズを作っているとそれがよくあることだとわかる。(チーズにはビギナーズラックがよくおきる)僕たちが求めているのは100回作って100回美味しいチーズを作ることができる技術だ。

 チーズの品質とはいったい何なのか?いよいよわからなくなってきた。そうなるととにかく製造を続けていくうちに何か見えるかもしれないと思い、ひたすら製造に励んだ。
 柳宗悦だったかレヴィ・ストロースだったかの本に日本人の特性についてこう書かれていた。「素材の本質を受動的に受けとめて具現化する力」を持っている。
つまり生乳が持っている本質を受け止めてチーズの中に入れ込んでいくということだ。生乳の本質を考えた。乳は母の初めの愛で、それは優しくて強い。決してインパクトがあったり、クセがあるものではない。では乳を原料に作るチーズの本質は「乳を感じられること」になるのではないか?日本人が作る本物のチーズとは乳を感じられ、優しさと強さを感じることができるチーズである。僕らはそこにたどり着いた。
 そうなるとチーズの品質を支える第一歩は乳の取り扱いに長けていることとなる。日本のチーズシーンではホルスタインかブラウンスイスかといった牛種についての話は多くでる。決まってチーズにはブラウンスイスがいいという人がいる。果たしてそうだろうか?この間、機会があってブラウンスイスでモッツァレッラを作った感想はホルスタインの方が作りやすい。繊維のコントロールにちょっと手こずった。最もこの事例も向いているかどうかの判定にはならない。最近山羊乳のチーズを作る人はずいぶん増えていて僕にはどうしてヤギ乳を選択するのかよくわからない。ただ、ブラウンスイスにしても山羊にしても日本では特別感はある。
 話を戻すと乳種がなんであるかより、乳をどう取り扱っているか?という方がチーズの品質には重要である。乳中の酸素は8ppm程度でこれを窒素で置換して1ppm程度まで落としたものが明治のおいしい牛乳である。酸素を入れない、脂肪を壊さない、これが先に出てきたユベール氏が宮嶋氏に常に言っていた「乳を動かすな!」ということの理由である。乳酸菌は酸素が嫌いである。通性嫌気性菌だから少々あってもと考えてはいけない。いやなものがあればテンションが下がるのは人も乳酸菌も同じである。さらの酵母の類は酸素を利用できるからいち早く発酵してしまうと乳酸菌の発酵にマイナスであろう。酵母は乳酸発酵が終わった後に活躍させるべきである。低温殺菌をすると乳中の酸素は減少させることができる。しかし、無殺菌のバルク乳であれば酸素がたっぷり入っているので対策が必要だと思う。無殺菌乳はバルクに入れる前のものをつかうべきである。
 また作るチーズに適した乳脂肪:乳タンパク(カゼイン)の比率に調製することも大切な乳の準備である。レンネットの添加量や添加時のPHで調整する方法もある。いずれにしても乳を正しく準備するということが大切である。
 さて、どうやって優しさと強さを引き出すか?これが酪恵舎のチーズの技術の要である。乳酸菌の選択と塩の入れ加減が肝になる。S・テルモフィルは穏やかな乳酸菌で糖分をわずかに残すのでこれを主体的に生かせば優しい味わい、塩分は控えめに。L・ヘルヴェティクスはタンパク分解も脂肪分解もするのでこれを主体的に生かせば強い味わいになる。これには塩分をしっかり。僕らはこの二つの乳酸菌を主役として使いミルク感のある、優しくて強いチーズ作りをしている。それ以外にもL・ブルガルクスやE・フェカリス、L・カゼイも使っている。
 さらにチーズの本質を考えたとき、チーズは「食べ物である」ということに改めて気づいた。美味しい、安全は当たり前、値段も高いと町の人たちが食べられない。徹底的に抑えられるコストは抑えた。例えば、モッツァレッラを作るのにフィラトゥーラという作業がある。カードを湯で練ってのしもち状に仕上げる作業だ。練る湯の温度を一度上げれば湯と塩(薄い塩水でフィラトゥーラしている)の量を減らせる。それで製品の品質が変わらなければあるいは向上すればみんな幸せになる。そんな努力を数年続けた。
 ここ数年はご多聞に漏れず、時短とか作業の効率とかを積極的に進めてきた。しかし、そもそも手間を惜しんではいけない仕事である。生産量は増えたけど品質が必ずしも上がらない。そればかりかみんなのテンションも何となく下がり気味になった。さらに時間がないから仕方がないといった雰囲気もでてきて、このままいくと質の低いチーズ工房に成り下がってしまう。時間にとらわれずいいものを作って世界に評価されてきた日本人が手抜きをしたらどうなるか?
データの偽装事件をみれば明白だ。それで製造にかかわることに関しては品質向上に重点をおいて時短はやめた。すると品質向上への新たな波が酪恵舎にやってきたのである。