白糠酪恵舎の今日までそして明日からVol.2 ~白糠酪恵舎の立ち上げ〜

白糠酪恵舎の立ち上げ

 僕らはチーズの活動を続けるうちに「いいチーズは良い生乳から作られる」ことを知った。そして良い生乳を作ることも良いチーズを作ることもそれぞれとても大変なことだということも実感したのだった。
 2001年僕らはチーズ工房白糠酪恵舎を立ち上げた。酪農家14戸と有志3名が出資し株式会社を設立した。僕らは農家の中で完結する方法を選ばなかった。役割を分担し、それぞれが能力を発揮してより大きな成果を上げようと思ったのだ。生乳を作るのは「酪農家」、チーズを作るのは「酪恵舎」、チーズの普及は「グッチーズ」とそれぞれに分担した。グッチーズは任意団体でチーズ及びチーズ料理の普及を図る組織で酪農家だけでなく、役場職員、コンビニ店長なども参加した。グッチーズは設立8年で解散したが、料理講習会や会報の発行、チーズイベントの展開などチーズの普及に大きな成果を上げた。この活動を通じて得たものは「よそ者の視点と地元の人脈がつながると大きな成果を上げられる」ということである。無名のチーズが大手コンビニに何となく置かれることなど普通はない。

『食卓にチーズを!』

 イタリアから学んだ製造技術で食材として有効なチーズを作るという作戦は当初苦戦した。当時チーズといえばプロセスチーズ。
お客様もトーマを見て
 「聞いたことのないチーズね。これどうやって食べるのかしら?」
 「これは朝食にパンにのせて軽く焼いて下さい。」
 「他には?」
 「蒸し野菜の上に乗せていただくとても美味しいです。」
何とかわかってもらおうとリーフレットもずいぶん作った。とにかく、食卓に乗って食べてもらえれば何とかなる。いろんな料理を考えた。グッチ―ズでは「時を食べよう」というチーズ料理の本を発刊し会員に配ったり、販売したりした。食卓占領宣言というリーフレットを作り商品に付けて配った。しかし結果は思うようにでない。それどころか新聞に家庭で食べる回数が減っていること、子供の食べたい料理に「お母さんの料理」が挙がるなど家庭の食卓そのものが絶滅しそうになっていた。
 「何とかチーズを食べさせたい」
 「そうだ!フォンデュだ!」
そう考えてイベントでフォンデュを食べさせようと考えた。しかし町のイベントでフォンデュを食べさせるには無理がある。そこで逆に溶かしたチーズをパンの上に乗せようと考えた。これがハイジパンである。これが町のチビッ子に受けた。ハイジパンは今や町のイベント2日間で1200食もでる町の名物料理となったのである。

カミングパラダイスでチーズを販売
次に考えたのは「食卓占領宣言」から「ハレの日にはチーズ料理を!」とキャッチフレーズの変更だ。普段の日にはなかなか料理が作れないとしても週末や誕生日などはむしろ普段作れない料理をつくるのではないか?そう考えた。
 提案する料理も手数ではなく、厳選して本当に美味しいと思うものだけにしよう!2冊目のレシピ本は料理数を絞り込んだ。タイトルは「ハレの日はチーズ料理を!今日はチーズに乾杯」である。