井ノ口視点

チーズを作り続けられるということ

2019年3月20日、帯広市十勝プラザにあるエスプレッソカフェバール PICNICさんが閉店した。
それは21年前のことである。その日は確か新得でチーズのセミナーがあり、帯広に宿をとった。秋風が吹いて手が冷たく感じる季節だった。駅前通りをぶらついていると「エスプレッソカフェバール PICNIC」という看板を見つけた。当時私は農業改良普及員だったのだが、折しもイタリアにチーズを見に行って本場のバールでエスプレッソを飲んできたりしたものだから、「よし、入ってエスプレッソを飲んでみよう。」とドアを開けた。
店内はカウンターにテーブル席がいくつかあってなかなかの雰囲気である。そこで私はカウンターに立ちエスプレッソを注文した。鈴木さんとのお付き合いはここから始まった。香りよし、泡よし、スプーンで泡をすくい、口に入れる。それから砂糖をスプーン2杯、ゆっくりかき回しながら、一言二言、言葉を交わしたような交わさなかったような、それから一気に飲み干して店を後にした。
それから帯広に行くときは時間があれば、寄ってチーズの話などしたり、鈴木さんは接客の方法を書いた小冊子などを見せてくれたり、そしていつか自分が作ったチーズを扱ってもらえればいいなと思っていた。
2001年に白糠酪恵舎を作り私はチーズ屋になった。当時はほとんど一人で、見かねた二人の仲間(年が一緒の、株主で、酪農家)が木曜日だけ手伝いに来てくれる、そんな状況だった。なので帯広に行く暇もなく、日々チーズを作っていた。少しづつチーズを扱ってくれる店は増えてきたが、鈴木さんにチーズを扱ってほしいとなかなか言えない。扱ってほしいという気持ちとそんなつもりで通っていたわけではないという思い、さらにせっかく落ち着けるカフェが取引先になってしまうと関係が変わってしまうのではないか?などと思ったりして言えずにいた。

年が明けて2002年の夏に帯広のイタリアンレストランからモッツァレッラを扱いたいというオファーがあった。「帯広に取引先ができる」となって初めて気づいた。「それはだめだ!帯広で最初にうちのチーズを扱ってくれる店はPICNICに決まっている!」そして鈴木さんに電話をして「帯広で初めに扱ってもらう店はPICNICさんでないと困る!扱って下さい」と伝えた。今思えば新手の押し売りのような、なんとも強引ではあったが鈴木さんは快諾してくれて2002年9月から16年以上にわたってモッツァレッラを使い続けてくれた。
手つくりするということは美味しいチーズを作ることもあればそうでない時もある。作っている自分が一番良く分かっている。創業当初はわけわからず作っていたから、結構いけてるつもりだった。だんだんチーズがわかってくると毎回反省がついて回る。自分が作ったチーズで店にお客さんを呼べるようになりたいと思いながら、逆に食べたお客さんが残念な気持ちになったら申し訳ないとも思う。次こそ頑張るから次こそもっと美味しくしなければと思いながら過ごしている。そう思えるのは鈴木さんしかりで、酪恵舎のチーズを信頼して使い続けて下さる皆さんがいるからである。酪恵舎はそうしたたくさんのお客さん(お店であり、個人である)によってチーズを作り続けられのだということを忘れるとこなく、いや強く肝に銘じて頑張っていきたい。
いつの日か帯広のどこかであのパニーニが食べられることを信じて今日もチーズを作りたい。

チーズ職人

  • 白糠酪恵舎 代表 井ノ口 和良
             

    福岡出身。18歳で北海道に渡り帯広畜産大学を卒業後、道東へ移住。 酪農と関わり暮らして37年。夢は原材料100%の純国産チーズを作って広めること。

  • 及川 由博

    生まれも育ちも生粋の北海道人。25歳で井ノ口代表と出会い、チーズ作りの虜に。酪農の豊かさを共有しあえる仲間づくりに奮闘中。

カテゴリ

READ MORE